駄人であるゆえに

物語調であらゆる人間を書くのが好きなのです。
あとは考え事が止まりません。

奇人

彼は、ここ数日、爪先歩きしか行わないという自ら決めた縛りにも飽きてきた様子である。始めた当初は、いつもよりもふくらはぎが疲れる違和感が気に入り、身長が少し伸びたような視界を快感に思ったようである。さらには、正常だとみなされる歩行をしている人間を見て優越感を感じたのである。
その前は、親指と中指で調子よく音を鳴らすことに熱心だった。人混みの中で鳴らし続けていると、民衆が彼を認識し、恐ろしいような、興味のあるような視線を浴びせてくることに面白みを感じたようだ。彼は自身の身体感覚や、外界へ与え得る影響を詳細に分析することを好むようである。
心身ともに落ち着いたことのない彼は、新たな遊びとして自前の西洋人のような鼻を片手でつまんで、左右に忙しく動かすことを始めており、にやにやと笑っている。どうやら、想像以上に柔らかく動く軟骨の感触を気に入ったようである。


自室で一人遊びに時間を使っていると、母が昼飯の時間だと呼びに来る。
普段と変わらない静かな食卓に座ると、夢中で用意されたものを飲み込んでいく。彼は大食漢で、日に米は10合ほど食べる。しかし、少しも太ってはいない。常に落ち着きのない身体と脳は、それほどの栄養を消費しているようだ。
母と二人の食卓は静寂としている。彼がいる時は、テレビの電源を付けないことに決まっている。彼は非常にテレビ番組を嫌っており、唯一の家族である母にさえ激昂してみせたことがある。それ以来、彼が食卓に座っている最中には、テレビの電源をつけないことが家庭の規則となっている。


そんな彼も義務教育を終えて、一日の大半の時間を家で使うようになってから早3年が経とうとしている。それについては母が度々言及しているが、そんな話を聞かされる時には決まって、彼の遊びをして過ごすのが常套手段である。彼はよく分かる男であるので、自身の精神を守るためにどういった方法をとればいいのかを把握しているようだ。この日も例の如く母から話がありそうであったので、散歩に出かけることにした。


外に出て歩いていると、すれ違うのはどこの誰とも想像つかない人間ばかりで少なからず興味が出る。敷居で遮断されていない日光は全身に向けて照射されて快い。家庭という狭い社会で暮らしている身分にとってはその全てが刺激的で、ただ楽しい。先ほどとは打って変わった気分の彼は、最寄り駅まで歩いてみることにした。


行き先をどこにするか考えながら、駅のホームに座って周りを見渡すと、甚だ人間が多いことに驚く。週末の駅はそういうものだと忘れかけていた自身を、面白く感じた。
二駅先まで乗っていけば近くに図書館があることを思い出し、行き先をそこに決めた。適当な電車に乗り込み、退屈しのぎに車両内を観察してみた。多数の人間が誰一人言葉を発さず、真剣な面持ちをしている光景を目の当たりにすると、環境を変えてみたい欲求に駆られた。それが表情として現れて、にやにやとやりだした。その表情に気がつく人もちらほらおり、気味悪がっている。しかし、元来他人の評価に関心のない性質にとってはなんともないようだ。突然ここで大声をあげたらどうなるか、車両内で寝転がったらどうなるかなどと、妄想をしては喜んだ。そうしている内に車内アナウンスで目的の駅に到着することを気付かされたので、仕方なく降りることにした。