駄人であるゆえに

物語調であらゆる人間を書くのが好きなのです。
あとは考え事が止まりません。

奇人(4)

院内で事情を聞かれる内は大抵が上の空だった。早く帰って飯をたらふく食いたいという欲求に思考が支配されていた。大抵の質問を適当に答えると、帰宅の許しが出た。もう中年の事については微塵も興味は無かった。寧ろ、自分の視界でうずくまって誰にも助けられていなかった中年に怒りさえ覚えていた。あの時、行き交っていた自動物体の方が自分の脳より優れていたことに気が付き、劣等感さえ込み上げた。


憂鬱な顔を表に出しながら院外へ出ると、病院から連絡を受けた母がいた。車を走らせて来たらしい。帰ろうと言った彼女に連れられて、駐車場に停められた車に移った。車を走らせて少し経つと、あなたがこういった行動をとるとは思わなかったと言われた。返事はしなかった。母にさえも小馬鹿にされる自分が心底情けなかった。静かな車中で今にも涙が出そうになった。もう随分暗くなった景色を窓から見て気を紛らわしていると、彼女がまた口を開いた。あなたは人と変わっていると心配していたけどねと言った。意味はわからなかったが、最近では見たことの無い顔をしていたのが印象に残った。


家に着くと、空腹を思い出し、準備が済んでいた夕飯をいつも以上にたらふく食べた。満腹になって自室に戻り、少し落ち着いてくると、疲れからか急に眠たくなった。今日の出来事を思い出しては意識が途切れ、繰り返している内に思考を失った。


ふと気が付くともう窓から明るい光が差し込んできている。日光の照り具合で考えると、もう昼に近いらしい。飯を食ってすぐに眠ってしまったのだと分かると、どこからか声が聞こえてきた。何やら玄関口で二人の女の声がする。耳を澄ますと一方は聞き慣れた母の声だと判明した。もう一方の声は聞いたことがない。来客とは珍しいこともあるものだと思いながら、顔を洗いに自室から洗面所に移動した。そうしていると自分の名を呼ぶ母の声がする。顔を洗いながら聞こえなかったふりをして、自室に戻る。昨日図書館で借りてきた本はどこに置いたかと探していると、母が部屋のドアを開けて来た。


なぜ来ないのかという質問は無視し、本はどこにあると聞いてみると、持ってきてくださったのよと返ってきた。続けて、今玄関にいる彼女にお礼をしなさいというので仕方なしに出て行った。どこに忘れたのか考えながら玄関に向かうと、見覚えのない中年の女は、自分の顔を見るなり深々とお辞儀をした。忘れ物を届けに来て頭を下げる変人に戸惑いながらも近づくと、昨日は本当にどうもありがとうございましたと丁寧にやりだした。忘れ物をすると嬉しがる妙な人間もいるものだと思い、適当に挨拶をした。すると、あなたのお陰で主人は助かりましたと涙ぐんだ女が続けた。少しの間、思考を整理してみると、どうやら中年の妻のようだ。わざわざ病院の人間に教えた住所を聞いて挨拶に来たらしい。何度も頭を下げる女に、特別悪い気はしなかった。一通りやり終えて、帰る女の顔は昨日の車内の母にどこか似た印象を受けた。


自室に戻って、椅子に座って届けられた本を開いてみるが、文章は頭に入ってこない。得意の一人遊びもする気にはならなかった。脳内は、母と女の印象に支配されている。気が付くと、昨日の劣等感がまるで消えてなくなっている。今までに仕事の意義を見出さなかった奇人の脳内は、またしても外的要因に影響を受けているようである。




奇人(3)

図書館を出ると、夕日が沈みかけている。あれを見ると空腹に加え、なんとなしに帰路を急ぐ気になってくる。一日を通して、こうも外的な要因に精神を操られるようでは、自分の思考なんてものは空想に過ぎないのではないかという疑惑も湧いてきた。そのような時は決まって、彼の遊びが始まるのである。周囲をキョロキョロとしながら舌打ちを頻繁に行ってみては、環境に与えた影響を分析する。その近くを行く人間は、どうやらこの挙動に何らかの不信感を抱いているようだ。その不安そうな表情を見ては満足する。同時に、外と内が相互関係にあることを再認識しては安心するのである。


思考を繰り返しながら駅までの運動を続けていると、先のほうに道路の真ん中でうずくまる人がいる。自分以外にも酔狂な人間がいたものだと感心しながら近づいてみるとどうも様子がおかしい。中年くらいの小太りな男である。呼吸が浅く、発汗が目立つ。いかにも苦しそうな印象で、胸の辺りを抑えている。嗜む程度の医学知識で推察してみると、どうやら循環器系の故障のようにみえる。その様子を立ち止まって、周りの状況を含めて観察すると、不思議なことに、傍を通り過ぎるものは、全くこの人間をいないように扱って行き交う。意思のない自動的な物体はこう行動するものかと考察すると、急にこの男に構ってみたくなった。


中年が話すことのできない状況であることは容易に判断できた。この様子だと、視界に捉える前からうずくまっていたようだ。携帯電話を持っていなかったため、救急車を呼ぶ目的で中年のズボンをまさぐり、拝借した。早速電話をしてみると、色々と中年の現在の状況を聞かれて指示をしてきた。その時点で大分面倒になってきたが、乗りかかった船だと思い任務を全うすることにした。一通りの報告、受けた指示を忠実に行った後は、ただ救急車を待つ運びとなった。その間にも、この光景を横目に歩く人間は、ぱらぱらといる。しかし、立ち止まる人間はいない。その反応を見ていると、道路にうずくまる中年と世話をする青年がいかなる映像を周囲に作り出し、どんな印象を与えているのかに興味を持った。ふと聞いてみる気になったので、次に傍を通る者にどう思うかと問うた所、大変ですねと返ってきた。さも他人事のようであり、実際に他人事なのである。そういった意見を聞くと、自分が愚かな人間に感じてきて、急に空腹が気になりだした。


あれこれ考えている間に、サイレンを大きな音で鳴らしながら救急車が到着した。忙しく降りては、大きな声を出す隊員に面をくらい、動揺をしている内にいつの間にか車に一緒に乗せられてしまった。中年の処置に忙しい者達を尻目に、これがもし人身売買の誘拐車両であっても、自分は挙動不審のまま乗せられてしまったのではないかと不安に思った。近くに治療が可能な病院があったようで、10分程度で到着した。いつまでこれに付き合わないといけないのかと、空腹に手助けされた苛立ちを感じながら院内に同行することになった。












奇人(2)

駅のホームに降り立つと、人間が様々な方向へ散らばっていく。物体が秩序よく大抵が同じ速度で異方向へ移動している事実は、彼を随分面白がらせた。ホームの中心で立ち止まってみても、周りの物体は障害物を避けるかのように運動を続けていく。その様子を観察しながら、自身以外はやはり自動的に動いている創作物である可能性が拭い去れないという持論を振り返る。試しにひとつ蹴飛ばしてみようかとも考えたが、図書館に行くという目的が達成できなくなるかもしれないと思い、やめにした。


色々と試したいことがやめになる日だと不機嫌になってきた彼は、足早に改札を通り抜けた。図書館に向かって歩き始めると、段々と人間が少なくなってくる。それに伴って自身の認知する情報量の割合が、人間から自然へと比重が移ることを自覚した。自然への注意力が高まってくると、次第に外気温の高さが苦痛になってきた。家まで引き返そうかと煩悶している内に目的の図書館が見えてきた。目で捕捉した途端に先ほどまでの気持ちが全く嘘になるのだから不思議なものである。五感で捉える情報が自らの思考に与える影響の大きさに関心しながら歩みを進める。何の本を読もうかと考えているうちに図書館の入り口を通過した。


彼は、勤勉な読書家である。元来持った思索家という性質に加え、知識に貪欲である。中学生であった頃は、数々の奇行とは裏腹に、いくつかの試験の成績では他の者を圧倒して驚かせたものだ。彼の性癖にも現れているが、特に人体についての学習を好むようである。普段は自宅で母に買わせた本を熱心に読みこんでいるが、今日に限っては外で過ごす気分になったようだ。


興味のある本棚にたどり着くと、書籍の多さに心を浮つかせつつ、学習課題を検討した。
昼飯前に発見した鼻の軟骨については当然に調査が必要である。人体に無数はあるであろう軟骨は全て同じ硬度なのか、割いてみるとどんな色をしているのか、個体差はあるのか。今までもこうして人体についての知識を蓄えてきた。執拗なまでにこういった分野に興味を抱くのは、科学的に全てが解明されていない、未開拓な事実への著しい知識欲のためである。閑散とした図書館の席に座り、解剖学の書籍を見ながら唸り声をあげている。未だ知らない知識と出会った時に表出される極楽の表情は、周りをよくびくつかせる。そんな小さな事実には何の興味も抱かず、ただひたすらに書籍を貪り続ける。


ふと目をあげて日が暮れかけていることに気がつくと、急に腹が減り出した。またこの現象か、と思いつつ席を立ち、気に入った本を何冊か借りてみることにし、図書館をあとにした。